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100日目

映画館へ行きました。 

アンタルヤのデデマン地区にある映画館です。

サイズで例えるならば、十三にある「第七藝術劇場」に近い感じです。

友達と二人で行きましたが、平日の午後という時間帯もあってか、他に客なし、まさに貸しきり状態でした。

値段は一人4YTL、安い。

しかし、これはたまたまで、相場は8~9YTLです。それでも安いけど・・・・。 

「Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull」

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

なんせ、ハリソンフォードは65歳ですからね。

「最後の聖戦」から19年も経ってることを、容姿から感じさせない。といえば、嘘になります。

いかんせん19年は、少し温めすぎのような気がします。

とりわけ、「これが集大成だ」といった感じもなくて、

インディ・ジョーンズのシリーズの延長といった気がします。

しかもこの19年間で、様々な「考古学謎解きアドベンチャー」モノが登場しましたからね。

「ハムナプトラ」、「トゥーム・レイダー」、「ナショナル・トレジャー」、「ダ・ヴィンチ・コード」・・・etc。

きっとCGに対して目の肥えた今のニーズに、答えるのは大変だろうな、と。

もうちょっと早く作品化できなかったのかな、と。敢えて率直に書いてみました。

しかししかし、それでも、やっぱりインディ・ジョーンズはかっこいいし、

おなじみのBGMには心が躍ります。

インディ・ジョーンズといえば、ほら、あれ。あのシーン。

インディ一向が移動するときに、

おなじみのBGMをバックに、

地図の上を飛行機が「ブーン」と飛んでいく、「あの」描写。

あのシーン、子どもの頃から、なぜか好きです。

時折、「結果ありきだろ」と言いたくなったり、

構成要素が消化しきれておらず、スルーされているシーンがあったりもします・・・・。

アクションシーンは、楽しさを保障したい感じです。すごく楽しい。

冒頭でのバイクでのカーチェイスシーンを見ていると、

嗚呼、インディが帰ってきたと思わず嬉しくなりました。

罠にかかって逃げるインディ御一行、秘宝をめぐって奮闘するインディ御一行。

シリアスなシーンで笑いを入れるのは、まさに「緊張の緩和」であり、

くすぐりも満載で、随所に楽しませてくれます。

というか英語版トルコ語字幕で見たのものですから、

物語構成の詳細までは理解できていません。あしからず。

英語を聞こうとすると字幕が目に入らず、字幕を追えばインディが見えない。

二兎追うものは一兎も得ず。そもそもが勉強不足。

日本に帰ったら再度、見直します。ていうかDVD化を待って、DVDセットを買おう。

日本では来月からの公開のようです。

個人的には、シリーズを一度見直したほうが楽しめると思います。

そもそも、「レイダース」の時のマリオン役のカレン・アレンが出てますので・・・・。

私もシリーズを頭で反芻してから見に行きましたが、

あ~これはたぶんオマージュだなとか、ルーカスの作品でなんかこんなのあったなぁ。

とぼんやりとしか思い出せず、歯がゆかったです。

結論。

これまでの3部作は、19年以上前ということで、

私自身、シリーズをすべて地上波やら、DVDやらの小さいテレビ画面で見ていたので、

冒険活劇「インディ・ジョーンズ」を、映画館のスクリーンで見れただけで、満足してしまいました。

と、勝手な映画批評はここまでにして、

とりわけ、トルコで3ヶ月弱生活しているわけですが、

これまでで、最大の衝撃がありました。 

映画の途中で休憩があったんです。

だって映画って、休憩して見るもんじゃないでしょ。

そら、「ベンハー」とか、「十戒」とか3時間越えもありますが、

映画って、ぶっ通しで見る「芸術形態」だと、ずーっと思ってました。

だってだって、映画監督もそれを意図して作っているはずだし、

途中で勝手に前編・後編なんかに分けられたら、作り手のメッセージが歪曲されちゃいませんか・・・。

「いやいや、休憩なしなんて、日本がおかしいで」とは、友達の談。

今のところ、私が、「そちらではどう?」と直接、聞いたところでは、

アメリカ、休憩なし。

ロシア、休憩あり。

ウクライナ、休憩あり。

スイス、休憩あり。

でした。

もとい、「映画を見る」のって大変なことだと思うんですよ。

莫大なお金と時間を、たった2時間弱に注ぎ込んだメッセージを、

受け取る動作というのは、大変しんどい気がします。

平凡な人生から、映画ならきっかり2時間、スパッと切り取ってくれます。

私の人生の残り時間が、あとどれくらいかは分かりませんが、

たった一度きりの人生のうち、

「一本の映画を見る」ということは、人生から2時間を映画に代償しているわけです。

無駄にはできません。

と、いろいろ考えたりして、着地地点を探してみます。

そういえば落語も長いネタ、例えば「地獄百景亡者の戯れ」は、前編後編に分けますもんね・・・。

いやいや、アレは落語家のさじ加減で中入りが入るよなぁ。ん~。

映画に休憩は必要かどうか、みなさんはどう思われるのでしょうか。

どうでもいい。あ、そうですか・・・。

「マジックアワー」、トルコでも上映してくれないかなぁ・・・・。願望。

映画館の前の広場