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299日目

ベルリンの壁

鉄のカーテン」の具象は、「コンクリートの壁」

西と東のがっぷり四つ、軍配は西。

ツンドラの寒さで主義も凍った」とは、一理あるんじゃないかと思います。

共産主義って「寒さ」に弱いのかもしれません。

それに引き換え、林檎は寒いところで育ちますもんね・・・って。 

壁跡は建物や電車のレールを除き、しっかりと残されています。 

分割統治時代のアメリカと旧ソ連の国境検問所。

チェックポイント・チャーリー。 

ベルリンの壁は所々に残されています。

崩壊の1989年、当時4歳の私には全く記憶にありません。

ほんの20年前までイデオロギー対立で西ベルリンが壁で覆われていたなんて、

実際、この地に立ち壁に触れても、実感は沸いてきません。

日本はバブルではしゃいでた頃ですよね。

それとほぼ同時期に、

西ドイツは劇的に経済成長を遂げ、東ドイツ共産主義で時代遅れ。

壁1枚で劇的に世界が変わる状況は(実際は2枚ですが・・)、

残念ながら、温室育ちの私には想像に難いのです。

壁なんて作っても、きっと主義なんて壁で遮れるものではなかったんでしょうね。

リスボンエンリケ航海王子、パリの凱旋門、アムステルダムアンネ・フランクの家。

こういう歴史的な場所を訪れる折に触れて、

「嗚呼、ちゃんと世界史の授業を聞いとけばよかったなぁ・・・」と強く、強く思います。

小説読んだり、早弁したり、ポン酢を回しあったりしてる場合じゃなかったな・・・って。

ベルリンの壁石綿が含まれてるから危険やねんで」と、

先生がぼそっと言ってたのは頭に残ってるんですけどね・・・。

ハンマーで破壊した人は今もご健在なのかなんて、勝手に心配してみたりして。

とりあえず日本に帰ったら教科書の表紙ばっかり見てないで、中身もちゃんと見直そうと思っています。

ベルリンの壁の破片。

崩壊当時は、自由に壁を壊せたそうですね。

「静かな時限爆弾」の異名を取るアスベストの潜伏期間って20年ですよね、たしか。

来年は壁の崩壊から20年・・・・。

来年以降は、ドイツで肺癌患者が増加するんじゃないかと、勝手に思ってます。