174日目
今のクラスには、私より一回りは幼いであろう少年たちがいるんですよ。 親の都合でトルコに暮らしているため、トルコ語を学んでいます。 そんな、腕白なクラスメイトたち。 彼らを見ていると常々思うのですが、 外国語を学ぶのに、年齢って関係ないんですよね。 こんな風に書いてみれば、至極当たり前ですが・・・。 もちろん、言語学的アプローチには、知識が必要ですが、 「外国語を学ぶ」という点では、 大学生も、小学生も、主婦も関係ないんですよね。 じゃあ、大学で「トルコ語」を専攻している私は、なんなんだろうって。 もちろん、言語のみならず、 文化、経済、社会を含めた多岐にわたる分野を学ぶわけで、 そのために今、トルコにいるわけですが、 トルコ語の上達は、その全てに通じるわけです。 「大学で学ぶ」というのは、一体どういう事なんでしょうか。 もちろん「学位」の為にやっているわけじゃないし、 ただ知りたいから、やっている。こんな感じでいいのだろうか。 それぞれの学部を卒業した人は、その分野のエキスパート。 ある程度の達成感を持って、大学を卒業したいなぁ、という話。 しかし、いかんせんゴールのない「トルコ語」の道。 如何に達成感を得るか、それが問題。 |