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#野球#映画#"Less is more"#サラリーマン#日本語(ネイティブ)#トルコ語(留学)#英語(米国駐在中)

194日目

指紋が同じでないように、私たちは声紋というものを固有に所有しています。

日本人の私は、

「あれ・・・これ波平さんの声やん」とか、

「特徴のある話し方やな」とか、

「神経質な性格やな」など、話される日本語に対しては、思ったりします。

しかし英語を聞いても、そんな気にはちっともならないんですが、

どうやったらその高みへ行けるのでしょうか。

「ダイハード4.0」の冒頭で、

ジャスティン=ロングが、マギーQの声に

「セクシーな声だ」と言うシーンがあったはずですが、

あれを映画館で見ていた私は正直、ポカーンでした。

そういう外国語に対する、なんというか「感覚」が私にはありません。

例えば、10人のアメリカ人に同じ文章を朗読してもらっても、

声だけでその人の背景を推察することができません。

なんとか、性別、年齢が推察できるくらいで、それ以外はゼロ。

例えば、トム=ハンクスの声は聞き取れても、

「あー、トム=ハンクスってこんな性格してそう・・・」とか、ぜんぜん浮かびません。

そういう感覚がつかめたら、映画がもっと楽しめるのになぁと、考えます。

外国語を「外国語」ではなく、完璧に「声」として聞くことはノンネイティブにも可能なのでしょうか。

それともやはりネイティブスピーカーの特権なのでしょうか。 

買い物の途中に、サッカーの試合の行方が気になるお客さんたち。