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#野球#映画#"Less is more"#サラリーマン#日本語(ネイティブ)#トルコ語(留学)#英語(米国駐在中)

117日目

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学生の帰省も、小康状態になったようです。

先週までは、大きなキャリーバッグを引きずった学生とすれ違ったり、

友達とお別れをしたり、の一週間でした。

只今、寮内は閑散としております。

夏季休業中の小学校のような感じがして、なぜか懐かしさすら、こみ上げます。

困るのは夜の時間帯の過ごし方です。

今までは、夜は友達とバスケットやら、サッカーでしたが、

そんな友達は、帰省してしまいました。

最近といえば、もっぱらトルコ語や英語の勉強に費やされています。 

時々、日本語が恋しくなってしまう衝動は抑えられず、

トルコ生活の息抜きとしては、

日本の携帯で、小説をダウンロードして読んだりしています。 

日本に関する娯楽が手元にないので、

たまの息抜きは必要だと、自分を納得させています。

アンタルヤに唯一もってきた日本の芸術は、「草枕」だけです。

ひさしぶりに、日本語の活字の世界に触れると反射が起こるみたいです。

スポンジが水を吸いこむみたいに、

日本語が頭に入ってきます。

日本にいた頃は休憩が欲しくなる長編小説も、

集中力が途切れず読みきってしまいます。

情報をある程度制限するだけで、この威力。

情報とは、恐ろしいものです。

というか、ただ単に新しい日本の小説が読めなくて、抑えられていただけに、

その反動が大きかっただけかもしれません。

というか、今思ったのですが、

小説という芸術体系は、一気に読むものなのでしょうか。

私の場合、時間が取れれば一気に読みますが、

時間を見つけて読むほうが多かったように思います。

書下ろしは一気に読めるけど、

もとい、書籍化の前に連載あるしな・・・。

例えば、芥川賞直木賞などの選考委員の人は、

どのように読むんでしょうか。

一気に?それとも・・?

まぁ、小説っていうのは、映画と違いますからね。

映画は上映時間が決まっていて、

人生から切り取られる時間は鑑賞者に平等ですが、

小説といった芸術は、

例え一気に読んだとしても、

読む人によって、人生から切り取られる時間はそれぞれ変わってきます。

いつか映画の「休憩の有無」に意見した私ですが、

これに関しては、どっちがいいのか分かりません。

というか、そう考えれば、

小説に対する一応の評価ってナンダ?

やはり、いつも接していると鈍感になってくる反応も、

日常的から離れれば、違った意味で敏感に反応するようです。

勉強になりました。

成長には、それなりの抑圧も必要なのでしょうか。